IT業界とマネーボール
映画「マネーボール」(http://www.moneyball.jp/)を観てきました。
観賞して考えたことを書いておきます。
映画の内容に触れていますので、ネタバレを避けたい方は気をつけてください。
この映画は、「貧乏球団オークランド・アスレチックスで、ジェネラルマネージャとして選手の獲得に苦悩するビリー・ビーンは、ある時から、統計データに基づいた分析理論を活用して、選手を揃えることにした。その結果、アスレチックスは前代未聞の連勝を達成する」という内容のドキュメンタリーです。
『その数学が戦略を決める』でも語られた、統計データの分析を活用した意思決定の話ですね。
ただ、原作よりも理論の話は削られ、主人公の人間性にスポットが当たっていました。制約の中で最適解を見つけようと奮闘する姿や、お金では動かない頑固さなど。
また、主人公が球団の選手たちと(トレードやクビにする対象だからという理由で)距離を置いていた前半と、積極的に会話をして関係性を作っていく後半との対比も、ドラマとして味のある演出でした。
IT業界のマネーボール
最近、「プログラマを採用する際に、応募者が公開しているソースコードを参考にしよう」という話をよく聞きます。
githubやbitbucketに公開された応募者のソースコードを、何らかのメトリクスで分析し、生産性やコードの品質、組織とのマッチングを統計的に導き出せる理論と実装があれば、プログラマの採用でもマネーボールのようなことは起きるのでしょうか。
単にソースコードレビューを自動化する話であれば、checkstyleやFindBugsといったツールによる取り組みがすでにあります。これらは、機械的に実行可能な範囲で、品質測定や改善を支援してくれます。ただし、大事な部分では、人間によるレビューが必要です。
単に、ある統計理論と分析者を支持するかどうか、という話なので、もしかしたらあり得るかもしれません。
新しい方法論によって自分の仕事がなくなるとき
主人公たちが挑戦する統計中心の戦略に対して、従来型の勘と経験の方法論でやってきた人たちは、猛反発します。監督に至っては、主人公の言い分を無視した采配をします。
どのような仕事でも、より有効なアプローチによって奪われる可能性があります。自分の仕事が別の方法論で置き換えられそうになったとき、どう対処すればよいのでしょうか。
主人公のように、変化を見逃さないことで置き換える側に立つか。
レッドソックスのように、そのやり方をすぐに試す戦略性と経済的余裕を持つか。
あるいは、まったく別の方法論を見つけて対抗するか。
…そうありたいと思うけれども、実際には難しいことばかりです。
統計データが弾き出す「才能」の取り扱いは、デリケートだけど面白そう
主人公は、学生時代に球団のスカウトに誘われ、奨学金付きの大学入学を蹴って、プロの道に入りました。しかし、選手としては鳴かず飛ばずで、自らスカウトに転職します。主人公のデータを分析したピーター(主人公の補佐役)は、当時をふりかえって、「あなたは大学に行くべきだった(プロの才能はなかった)」と言います。
もし、主人公がプロになる前に、自分に才能がないというデータを手にしていれば、どんな行動を取ったでしょうか。
ピーターは、データ分析のことを「大量のデータの中から、形のないもの、誰も知らないものを取り出す」作業であると言います。これは、本人にも周囲にも通常見ることができない個々人の持ち札(のポテンシャル)を、開示する行為です。
この話は、好きなことをやるべきか/得意なことをやるべきか、という人生論の議論に陥ると答えが出ないものです。しかし、もし「自分の力を最も伸ばせる場所で活躍することこそが、本人や社会の幸福に寄与する」というシンプルな価値観を運用できるならば、統計データを利用したスカウトや人材開発は、堀り甲斐のあるドメインなのだろうと思いました。
作品中では、「野球には夢がある」という複雑な言葉が何度も登場します。
データ分析にもまた、様々な意味で「夢がある」のだろうなと思いました。
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