「そう読み取らせた責任」を考える

身近な人から、発言や文章について、想定外の方向から厳しい指摘を受けたとき、「そんなつもりじゃない」とか「単語を選びまちがえた」とか「言い方が悪かった」とか、思うのはカンタンだ。自分の国語力のなさのせいにして、問題をすりかえて自尊心を守るのは気楽だ。さらに、相手の受け取り方のせいにしてしまえば、もっとカンタンだ。

しかし、相手にそう読み取らせた何かが――まったく自覚のなかった何らかの問題が――自分にない、と言いきれるだろうか。態度や印象という観点から注意を受けたときは、落ち着いてからでよいから、自分に問題があったことを認めよう。明らかな誤読でない限り。

特に、相手が悪意をもって他人をあげつらう人ならともかく、そうでないなら。少なくともその人は、叱責に値する「何か」を見出したのだ。人を叱るのにはエネルギーがいる。わざわざ言うのだからよっぽどだ。

というわけで、仕事で先輩に叱られて、若干やさぐれて、反省して、立ち直ったトコロ。ドンマイwww