犬でいることを目的にしない

「傘をひらいて、空を」さんの「私たちが犬だったころ」を読んで、今年一番考え方が変わったのはこのへんだなぁと思いました。

一人前になるまで犬でいる、と言って、犬でいることを目的化するようなところがあったのですが、無意味だし、むしろ弊害があると気づきました。一人前になることは、それに直接繋がる行動と、最低限以上のQoLが揃わないと、達成できませんよね。

"直接繋がる行動"をしない例はカンタンです。たとえば、コードを10万行書くまでモンハンしないと決めたとします。この時、モンハンしないことを目的化しても意味がない。1秒も遊ばなくても、浮いた時間でコードを書かない限り、何も前に進まないヨ、という話です。

こういう根拠のない自罰的な行動が、"ゲームをしない"くらいで済めばよいですが、(「私たちが犬だったころ」のように)人からなぐられることだとか、肉魚を食べないことだとか、4時間以上寝ないことだとか、QoLを下げるような内容にエスカレートし、目的化してしまうと、弊害が生まれます。こちらが、"最低限以上のQoL"を損ねる例です。

QoLが下がると心身の健康を失うので、自分に言い訳する状況を作りやすくなります。やれ体調が悪いから、やれ家族に不義理をしてるから、今日は勉強をオヤスミしよう――明日でいいや――来年から本気出す。こうなると、もうダメです。QoLに憂いのない状態を作ることは、この手の言い訳をしないことと表裏一体なんですね。

おいしいものを食べ、よく寝て、適度に身体を動かし、きれいな部屋に住み、着心地の良い服を着て、まわりの人を大切にする。

簡単ではないし、時間もかかるし、しかも継続が重要なのだけど、QoLを良好に保った方が、結局長い目で見て、持続可能な成長ができます。

当たり前だけど、分かっていませんでした。気づいてよかったです。