科学者の卵たちに贈る言葉

科学者の卵じゃないけど、面白そうだったので買ってしまいました。

副題に「江上不二夫が伝えたかったこと」とあります。江上先生から科学者になるための指導を受けた著者が、シャワーのように浴び続けた江上先生の言葉を、発言の文脈と合わせてまとめたのが本書です。

人生全般にも当てはまりそうな金言が詰まっている一方で、ウェットな実験科学の世界ならではと思われる格言も同じ程度含まれるので、生命科学以外の分野を専攻したorしている人は、専門分野との違いを味わうと面白いかもしれません :)

全体を通して江上先生のかっこよさに痺れる本でした。汎用的だと感じた言葉を3箇所ほど引用して紹介します。

流行している研究などやらなくてよい

みんなが大事だと言っている研究分野や、今流行している研究分野に、あわてて参入しなくたっていいんだよ。たくさんの人が群がっているから大事な研究だと思い込み、乗り遅れないようにと慌てて参入したのでは、力ずくで一番乗りを争わざるを得なくなるでしょう。それでは、人よりも一日でも早く結果を出すことだけが目的になってしまう。あるいは、流行している研究をやっていることで、自分は重要な仕事をしていると安心してしまいかねない。

笠井献一:『科学者の卵たちに贈る言葉――江上不二夫が伝えたかったこと』,p.4,岩波書店,2013.7.

個人的な学習分野の選び方や、仕事での調査研究テーマの選び方などの話に置き換えると、耳が痛い話です。

研究テーマの決め方

5章はとにかく江上先生が滅茶苦茶かっこいいです。

四年生と修士課程はまだ経験が浅いからと、先生が研究テーマを考えてくれた。(略)先生のポリシーは各人に完全に独立したテーマをもたせることだった。それぞれのテーマは十分に離れていて、重なるところがあってはならない。みんなで分担して進めるようなビッグ・プロジェクトなど江上研究室にはなかった。

笠井献一:『科学者の卵たちに贈る言葉――江上不二夫が伝えたかったこと』,p.63,岩波書店,2013.7.

「江上先生の使命」から。

私の使命は研究者を育てることなの。そのためには経験がない学生であっても、本人が興味と情熱と責任をもてるような、独立したテーマをやらせるべきなのよ。指導者がやらせたいことをやらせたり、チームでやるような大きな仕事の一部を分担させたりするのは、科学者を育てるには有害きわまりない。

笠井献一:『科学者の卵たちに贈る言葉――江上不二夫が伝えたかったこと』,p.p.72-73,岩波書店,2013.7.

かっこよすぎる。

そんなことは私の趣味に合わないし、使命に反しているの。tRNAの全構造を決めるような大仕事をやろうとしたら、細切れにした切れ端を一つずつ弟子たちに分担させ、いっせいに同じことをやらせなければならない。こんな中途半端な、独立していない仕事をやらせては、未来の科学者が育たない。弟子たちを歯車にしてはいけない。小さくても、他人とははっきり違う独立したテーマをもたせて、責任をもって仕事を進めさせるべきです。私の使命は科学者を育てることであって、自分の目的のために弟子をこき使うことではありません。

笠井献一:『科学者の卵たちに贈る言葉――江上不二夫が伝えたかったこと』,p.74,岩波書店,2013.7.

こんな考え方の先生についたお弟子さんたちは幸せだなあ。

学生の研究テーマの決め方として述べられていますが、たとえば企業のR&Dに入った新卒新人の課題を決める際などに考慮してもいいことだと思います。細切れの調査をぶん投げない。本人の興味からテーマを決める。複数人いたらそれぞれに独立したことをさせる等。もちろん、本人と上司先輩の課題設定能力が問われるので、簡単にできることではないのですが……。

学問上の先輩


私の方が先に人間を始め、先に研究を始めたから、君たちよりも経験が多いし、知識も余計に蓄えている。だからすでにわかっていることについてなら、君たちよりも良い判断ができるよ。だけど自然にはまだわかっていないことがいっぱいある。それを知ろうとしたとき、私と君たちとの間で条件はぜんぜん違わない。私の方が優れていることなんかないよ。

だから君たちとの差は経験が多いか少ないかだけなのよ。私の方が偉い人間ではないし、私の言うことの方が君たちの言うことより正しいなんてことはないのよ。

笠井献一:『科学者の卵たちに贈る言葉――江上不二夫が伝えたかったこと』,p.94,岩波書店,2013.7.

「だけど自然には」のくだりは生命科学の分野ならではの物の見方だと思いましたが、前後の部分は他でも当てはまります。自分も昔、先輩から「間違っていてもいいから思ったことは何でも口に出せ」という指導を受けました。何となくそれに通じるものを感じました。

相手が偉いからこんなことは言えないとか、相手が先輩だから正しいはずだとか、そういった先入観に囚われると、自分より経験がある人に対して何も言えなくなってしまいます。しかも、これは習慣的な動作なので、「誰に対しても意見を言いなさい」といわれても、突然できるようにはなりません。

相手が上司でも先輩でも、「先に人間を始め、先に研究を始めた」に過ぎないことを知り、敬意は持っても遠慮は捨てて、対話をしていかなければならないのだと思います。