映画「火天の城」から、システム開発プロジェクトを想う
papandaさんとklavieさんおすすめの映画「火天の城」を観てきました。
「火天の城」は、時代物の邦画です。テーマは「織田信長の命令で安土城を造ることになった棟梁・岡部又右衛門と岡部一門の一大プロジェクト記」。
…なのですが、映画に描かれる様々なエピソードからは、IT業界の開発プロジェクトを思い起こさざるを得ません。とても面白かったです。
感じたことのエッセンスをメモしておきます。ネタバレを避けたい方は、読まないようにしてください。
指図争いに見る「顧客ニーズの汲取り」
指図とは、設計書のこと。信長は、設計書と城の模型を提出させるコンペを開催し、築城の発注先を決めようとします。
又右衛門は、無茶な希望を頑固に出し続ける顧客・信長に対して、本当に造るべきものは何であるかを、命懸けで説明します。顧客が欲しいというモノと、顧客に真に必要なモノとは違う――まるで、ワインバーグの本に出てきそうな話です。受注を争う他の棟梁たちが、信長が欲しがるものだけを提案したのとは、対照的です。
他の棟梁たちも、又右衛門と同じ分野の専門家です。又右衛門が指摘することを知らないはずはありません。知らなければ、専門知識の欠如であるし、知っていて黙っていれば、プロとしての道義に悖る行いでしょう。
又右衛門は、同業者から妬まれ、「田舎太夫」と陰口を叩かれることもあります。しかし、じつは深い知識を持つ立派な技術者であり、顧客の真のニーズを探り当てて納得させる優れたコンサルタントです。
木曾氏への背反に見る「作品の成功を願う職人の心」
檜の匠の甚兵衛は、自分が育てた檜がどこでどう使われるのが最もふさわしいかを考え、優先する人物です。その判断が主君の命令に反することになっても、気にしません。
この場面で、社会的な契約を無視してでも、自分の作品のあり方にこだわるアーティスト、あるいは、与えられた設計を無視してでも、よりまともな実装を試みるプログラマなどの姿を重ね合わせてしまいました。
行為の良し悪しはさておき、職人としてのこだわりや気概に、胸を打たれたシーンでした。
職人の気持ちを慮るリーダーに見る「チームビルディング」
又右衛門は、自分の身内に大変なことが起きた翌日にも、あくまでも仕事場へ行き、作業をします。たとえ、そのことを身内から非難されてもです。
その一方で、職人たちの身内に大事が起きた時には、彼らに休みを取らせようとします。又右衛門は、そのようにした理由として、人の心が離れたら最後、事を成し遂げることはできないからだといいます。
プロジェクトの問題は人の問題であると説いた『ピープルウェア』を彷彿とさせる考え方です。
妻・田鶴に見る「しなやかな笑顔の強さ」
又右衛門の妻の田鶴は、「女子(おなご)は笑顔を絶やさぬように」という台詞を何度も口にします。そして、辛いときでも、穏やかに微笑んでいます。
性別に関係なく、崇高な心がけだと感じました。悲しいときに、涙を見せずに微笑むことができる人は、強いです。こういう人がチームや家庭にいて見守っていてくれることで、人は過酷なプロジェクトに立ち向かえるのかもしれません。…なんちゃって。本音としては、ぶっちゃけこういう奥さんが欲しい!
冗談はさておき、以前何かの本で読んだ「おなじ仮面をかぶるなら、しかめっつらより笑顔がいい」というフレーズを思い出しました。
まとめ
というわけで、本当に面白かったです。作中のひとつひとつのエピソードが、いつかの開発プロジェクトでの経験をまざまざと思い起こさせます。
- 棟梁の又右衛門が不在の時、現場の人たちの心がばらばらになりかける様子
- 築城をやり遂げられるか不安になった職人たちが、棟梁に不信をぶつける姿
- 己の不器用さに悩む新人を、同じ悩みを昔持っていた先輩が力づけるやり取り
現場の人間の切実な思い――「このプロジェクトは無事終わるのか?」「リソースが足りないが、リーダーは分かっているのか?」――なども、リアルに描かれています。
自分は、時代物の映画にも日本史にも疎いので、papandaさんとklavieさんの勧めがなければ、この映画を観ることはなかったでしょう。お二人に感謝です。
興味を持たれた方へ。都内では、今週で上映終了の館が多いようです。お急ぎください :-)