本をiPadで読む生活・その4。本の電子化をすすめるための考え方

ジョジョ100冊の後、さらに約150冊の本を切り刻んだ。

お世話になった裁断機は、OAクリーナーできれいに拭いて、今夜DMMに返送した。

本の電子化をすすめるための考え方5つ

数百冊の本を裁断している間に、本の電子化を正当化するための考え方をいくつか思いついたので、メモしておく。

考え方1. 「本はソフトであり、読めればそれでよい」という価値観にシフトする

まず、なぜ本を電子化したいかを整理してみる。

  1. 本を処分して、自宅スペースを有効活用するため
  2. 複数の本を手軽に持ち歩くため
  3. 災害や本の自然劣化に備えて、バックアップするため

自分の場合、これらのことを目的に、本を電子化することにした。

だから、「本の本質はあくまでも中身であり、外形は何でもよい。本の装丁を味わうのは楽しいが、所有する必要はない」という価値観を選ぶことにした。というか、元々そういう考え方だったけど、強化することにした。

感情や価値観は、ある程度制御できるものなので、「今日からこういう考え方になった」と思い込めばOK。

価値観とは、生活しているうちに自分の中から湧き出るものだ。でも、自分にとって望ましい人生を送るために、意識的に選び取るものでもあると思う。

(余談)よく「本を最初から電子版で売って欲しい」という話を聞く。電子書籍には、自炊の手間が省けるというメリットはもちろん、「本をソフトとして消費する価値観」を所与のものとして受け取れる、という見えないメリットもある気がしてきた。これからは積極的に電子書籍を買ってみるつもり。

こうして頭を切り替えないと、人によっては長年の愛読書を裁断機にかけるのはキツイかもしれないので、とりあえず最初にこれを挙げてみた。

とはいえ、人間なので、決めた価値観に追随できなければ、紙に戻るのもあり。本との付き合い方の価値観なんて、多様でいいし、揺らいでいいと思ってる。一時的に自炊作業を推進しやすくなれば、それでいい。

考え方2. ディスプレイと紙のどちらが集中できるかを改めて考える

紙の方が集中できるにきまってる、と答えるのは、思い込みかもしれない。

日常的にディスプレイを見る時間が長ければ、ディスプレイの方が集中できる体質になっている可能性も十分ある。

「紙の方が集中できそうだから」というのは、本当に自分自身がそうでない限り、本を電子化しない理由にはならない。

考え方3. 「紙の方が目にやさしい」をどこまで貫くか

もちろん、発光とチラつきのあるディスプレイよりも紙のほうが、目への刺激は少ない。

しかし、本当に視力の心配をするなら、ディスプレイか紙かを問わず、文字を読む時間を短縮すべきだろう。

「ディスプレイで字を読むのは目に悪いから」というのは、本を電子化しない理由として弱い。

考え方4. 自炊が面倒 vs. 快適な生活


id:rokujyouhitomaからブコメでネコを催促されたので追加)

自炊作業は面倒だ。もう数年待てば何かと整備されるんじゃないか、それまで待とう、という考え方もある。

しかし、個人の自炊作業が不要になる○年後っていつだろう。それまで生きてる保証もない。

不便を感じ続けるよりも、手間を我慢して、「本を様々な場所に持ち運んで活用する」という生活を早く手に入れた方が、幸福実現するかもしれない。

もちろん、金銭的に余裕があるなら、自分の単価を考えて、自炊作業をアウトソースする選択もある。しかし、裁断は合法的にアウトソースできるけど、スキャンはできないらしい。裁断よりスキャンの方が格段に手間がかかるので、あまり解決になっていない。この問いは有効なままだ。

考え方5. 裁断に罪悪感を持たない

本の自炊は、本棚で眠っている本を活用する機会を増やす行為だ。

作業の過程で本を切り刻むが、それは決して本を粗末にしているわけじゃない。

最終的に実現される状態に着目して考えよう。というわけで、切っちゃえ、切っちゃえ。

・・・と、まあ、こんなところ。

電子化に向いていそうな書籍

リファレンスや、どこから読んでもよいtips集やエッセイ本は、電子化に向いていると思う。

技術書でいうと、このあたり。

悩み

PDFの文字認識精度が低い。

本の文字認識は、名刺と違って、ScanSnapのソフトではなくAcrobatでやっている。ClearScan設定でOCR認識をしているが、行の一部が消えてしまう。

上手いやり方について、もう一度情報収集してから、PDF化を進める予定。