自分の中に毒を持て

レシピサイトの中の人の退職エントリにこの本があったので、図書館で借りて読んでみました。

激しい本です。無難であることや安逸に逃げるな、やってみてダメだったらダメだったで、その方が手ごたえのある生き方になる、と一貫して主張しています。主張の精確なところはともかく、著者の情熱が迸っていることはよく分かりました。

印象的だった言葉を少し抜書きしておきます。

大切なのは、他に対してプライドをもつことでなく、自分自身に対してプライドをもつことなんだ。

岡本太郎:自分の中に毒を持て,p.67,青春文庫,1993.8

だから、自分は未熟だといって悩んだり、非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、よくない。

それは人間というものの考え方をまちがえている。というのは人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。

岡本太郎:自分の中に毒を持て,p.p.67-68,青春文庫,1993.8

自分が未熟だからと消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなってしまう。そういうのは未熟のまま、だらしなく熟したことになってしまうのだ。

岡本太郎:自分の中に毒を持て,p.68,青春文庫,1993.8

凄いことを言い切りますね。

それから、幼少時の岡本太郎さんに対するご両親の接し方が面白いです。

岡本家では、大人と子どもも対等に議論していた、それが普通のことだった、といいます。しかも、本人によると、太郎さんのほうがご両親よりも論理的で、よく彼らを言い負かしていたらしい(^^;

つまり親子関係というより、人間対人間の関係だったんだ。今思うと、一人の人間として、本気でぼくの挑戦にこたえてくれた両親が、やはりえらかったという気がする。

岡本太郎:自分の中に毒を持て,p.167,青春文庫,1993.8

親子、先生と生徒、当然立場の違いはある。親だから生活的面倒はみる。先生は教える。としても、しかし人間としてはまともに、向きあうべきだ。人間同士として。

でなければ、尊敬も愛情も、一体感も生まれるはずがない。

岡本太郎:自分の中に毒を持て,p.169,青春文庫,1993.8

最近の体罰関連の報道を思い出したことは、言うまでもありません。

あと、職業分化の話も興味深いです。

彼が質問した。

「あなたは優れた芸術家なのに、どうして民族学をやったんですか」

ぼくは「人類の職業分化に反対だから」と答えた。絵描きは絵描き、学者は学者、靴屋靴屋、役人は役人、というように職業の狭い枠の中に入ってしまって、全人間的に生きようとしない、それが現代のむなしさなんだ……(略)

岡本太郎:自分の中に毒を持て,p.213,青春文庫,1993.8

SEはSE、みたいなのも同じですね、きっと。

面白かったです。